「ぼんやり型」と彼は自称する。けれどその「ぼんやり」を駆り立てる何かが、映画作りには潜んでいるようだ。第9期生としてフィクションコース初等科・高等科を修了し、最新作『へんげ』の公開で話題の大畑創に聞いた。(採録:映画美学校事務局)

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映画作りを志すまでのいきさつを聞かせてください。

小さい頃はテレビの「日曜洋画劇場」とかで、シュワルツェネッガーのアクションものや『ロボコップ』みたいに、普通に子どもが喜びそうなジャンル映画を主に観ていました。大きくなってからもそういった娯楽作品が好きで、大学を卒業して仕事にも就き、そして辞め(笑)。その時点で26歳になっていたので、この先どうしようと考えたときにふと「……映画作りを目指してみようかなあ」って、ぼんやりと思ったんです。

映画美学校に入った理由はありますか?

まず学費が安かったことと(笑)、テレビでたまたま『蛇の道』(98年)という映画を観たんですね。こんなにも酷い人間の姿を、映画で描ける人たちがいるんだ! ということに衝撃を受けて。黒沢清という監督と、高橋洋という脚本家の名前が、そこで強烈に記憶に残ったので、そのおふたりが講師を務めておられるというのも大きかったです。

入ってみて、入学後にはどんな展開が待っていましたか。

まず、みんなで飲みに行きますよね(笑)。本当に映画を作ろうとしている人たちと接することができたのは、僕にとってはこの学校が初めてだったので、当然ながら映画の話をたくさんするわけです。そのこと自体が楽しかったし、特に講師の人たちとお話してみて「世の中にはこんなに面白い大人もいるんだ!」って思いました(笑)。そもそも、それまでの人生で、みんなでわいわいと何かを作るという経験がなかったですから。授業で出される課題にみんなで取り組みながら、少しずつそれが形になっていく過程も、ものすごく面白かったです。

初等科時代の大畑さんはどんな生徒さんでしたか。

目立たない子でした(笑)。みんなを率先して「飲み会行こうぜ!」っていうタイプでもなく、なんとなーくその列についていくという(笑)。修了作品にも、選ばれなかったですしね。主にスタッフワークとして、照明と美術を担当しました。

高等科に進んだ理由は?

初等科でやったことがとにかく面白かった。それに尽きると思います。初めて自分たちの手で、15分間の映画を作りあげたという喜びを、1年だけで終えてしまうのはもったいないなあと思って。実際に進んでみたらやっぱり、高等科に行かないとわからないことがたくさんありました。僕は「高等科コラボ」では高橋洋監督の『狂気の海』という作品に参加したんですが、自主映画でここまでできるんだ! ということにまず驚きましたね。同時に、映画作りというのは、どのセクションにおいても、真剣に作ろうとすると本当にしんどいし、決して生半可なものではないのだということも知りました。どんなに技術的なことを学んでも、問われるのは「どんな姿勢で映画と向き合うか」なのだということ。それは、高橋さんの製作時における監督としての振る舞いを見ていて思い知らされたことでもあります。

高等科の修了作品として撮った『大拳銃』は、一般公開もされましたね。

そのへんの流れも、ぼんやりしてるんですけど(笑)。僕の同期生が、アニメーション作家の新谷尚之さんと知り合いで、そのつながりで僕らの期の作品をUPLINKの支配人にお見せする機会に恵まれたんですね。それで気に入っていただいて、同期の人間や新谷さんやそのお知り合いの作品と一緒に、映画祭みたいな形で上映していただけたという、僕自身からは全く何も働きかけていないという体たらくなんですが(笑)。でも自分が好きなものを作って、見ず知らずの人が観に来てくれて、しかもそれを面白いって言ってくれるというのは、本当にいい経験でした。また作りたいな、と思いましたね。

初等科と高等科を修了して、大畑さんの人生はどう変わりましたか。

友だちが増えました。作った映画を、いろいろな映画祭に出したりするうちに。映画祭は、本当にいい場所ですよ。友だちや知り合いが、たくさんできて。映画作りは「出会い系」なんじゃないかとさえ思ったりしますね。この学校の外にも、当然、映画を作っている人はたくさんおられるわけですから。どんな出自の人でも「映画を作ろうとしている」という点において通じ合えるというか、つながれるのだという実感があります。僕みたいにぼんやりしていても、ですよ(笑)。映画を通して、人間関係が大きく動いたことは確かですね。

最新作の『へんげ』を撮ったのは、どういったモチベーションだったのでしょう。

『大拳銃』を観てくださった講師の篠崎誠さんの紹介で『怪談新耳袋』という5分の短編を撮らせていただいたんですが、そのまま仕事の依頼が続くわけでは決してなくて。やはりもう一度、自分で1から映画を作らなければ何も始まらない、と思うようになったんです。だから脚本を書いて、アルバイトをしてお金を貯めて、撮りました。出来上がってからは、まず美学校OBのつてを通して、上映館のシアターNの支配人の方に観ていただき、気に入っていただいて。それから配給のキングレコードさんにも、お見せして。今は「自分の映画の宣伝」というプロセスを、生まれて初めて経験しています。普段自主映画なんて観ないようなお客さんにも届けるにはどうしたらいいんだろう、というようなことを日々考えているところです。

最後に、これからこの学校で学ぼうとする人たちにメッセージを。

ぜひ、初等科と高等科、2年間学んでほしいです。どんな方法や立場であれ、1本の映画を作る現場に最初から最後までつきあって、それを経験した上で、改めて自分の映画を撮るという経験は、やはり2年間かけないと味わえないことだと思います。映画美学校をはたから見たら、今の商業映画では観られないような、変な作風の映画が多いから、変な学校かと思われるかもしれないんですけど(笑)、でもその内実は「なぜか映画に本気な人ばかりが集まる学校」なんですよ。みんな本気。本気すぎるほど、本気です(笑)。だから、よそでは決して味わえない、熱くて楽しい2年間が過ごせることを保証します。